日本舞踊協会公演[国立劇場大劇場2月20日(日)昼の部]の最後『江島生島(えじま いくしま)』に坂東冨起子が海女で出演します。
◆『江島生島』って、どんな話?
大奥のお局(つぼね)の江島が役者の生島新五郎と恋に落ち、不義密通の罪で江島は幽閉、生島は島流しとなって正気を失う悲話。でも、これは後に歌舞伎や小説になったフィクションで、事実の「江島生島事件」は大奥の利権争いや幕府の風紀粛清がからんだ一大スキャンダルだったそうです。
事件が起きたのは江戸中期の1714年、旧暦の1月12日。
先代将軍の墓参りに出かけた江島は、その帰りに懇意にしていた呉服商に誘われて芝居見物をし、終演後、生島らを茶屋に招いて宴会を開いたところ、うっかり大奥の門限(現在の午後4時とも6時ともいわれる)に遅れてしまいます。遊興で規律を乱した罪で、密通の事実はなかったにも関わらず、関係者1400~1500名が処分され、江島の義兄は武士の礼にのっとった切腹ではなく、斬首刑。
幽閉となった江島は、信州で座敷牢のような部屋に閉じ込められ、着るものは粗末な木綿のみ、朝夕一汁一菜の食事、手紙や読書も禁止され、自由な面会や外出も許されないまま、27年後、病のため61歳で死去。
一方、生島は三宅島へ遠島となり、生島が歌舞伎役者を務めていた山村座は廃座となり、座頭も流刑。江戸の芝居小屋は三座だけとなって簡素な造りに改築を命じられ、夕刻の営業も禁止されることになりました。
28年後、生島は赦免されて江戸に戻りましたが、翌年、73歳で死去。生島については、遠島となって19年後に流刑地の三宅島で死去したという説もありますが、謎の多い「江島生島事件」はじつは仕組まれた陰謀で、冤罪だったともいわれています。